地元東京から出たことないけどいきなり沖縄移住するって話
はいさい!初めまして!
SARAH’S IRIOMOTE LIFEのブログを書いているSARAHです。
英語も全くしゃべれませんが、小さいころから外人に憧れているし、”さら”よりも”SARAH”の方がかっこいいと思って英語表記しています。
そしてタイトルの通り、私は25年間地元の東京の東側の3区内くらいでしか生きていなかったんです。
が、慣れ親しんだ地元からはるばる、どうせなら端っこに行っちゃえ!というノリで沖縄移住しちゃいました。
そんな私のこれまでの人生を少しご紹介したいと思います。
about me
東京都江東区出身
現在は西表島在住の28歳
【趣味】
海で遊ぶ(泳ぐ、眺める、SUP、釣りなど全般)
料理する(沖縄料理、お菓子、簡単な料理など)
【音楽】
RADWIMPS、西野カナ、Rickie-G、平井大が特に好き
【実家】
父母妹弟の5人家族の長女として、生まれてから22年間めっちゃ狭い団地で育ちました。
2部屋しかないのでもちろん川の字で寝てました。
【移住先】
島人がやっている民宿のスタッフとして働きながらそこの寮に住まわせてもらっていて、この生活も4月で3年になります。
最初の契約では1シーズン(3カ月くらい)の予定でしたが、綺麗な海、自然たっぷりの山、広~い空…
沢山の大自然に囲まれた、のどかな生活から離れられなくなり、今もそしてまだしばらくお世話になりそうです。
コンビニも無くお店も少ない島ですがそこまで不便にも感じず、こんな素晴らしい自然があるところに住める環境がお金ではない贅沢な暮らしに感じます。
私にとってこの田舎暮らしは合っていたみたいです。
学生時代
小・中・高までは家から近い公立の学校に通い、卒業後は電車で2駅隣の専門学校へ。
至って平凡な学生生活で、この先を読むとわかりますが特に面倒臭がりな性格でです。
入学して1年経った頃には就職願望が無くなってしまった私は、高校生の時から続けていた飲食店のアルバイト先でフリーターになります。
フリーター
フリーターは重宝されるので、当時の店長にとてもよくしてもらったので働きやすい環境でした。
社員と違って働いた分がお給料となりますし、職場もアルバイトの方が多かったので特にやりやすかったです。
しかし2年間もフリーター生活を続けていると、このままでいいのかと不安になり始めいよいよ就職しなきゃと思うようになります。
努力すというより楽な道ばかりを選択してきた私は、この時も楽な道を選びその場しのぎで決断するのです。
就活せず就職
ちょうど4年生大学に通っている友達が就職する時期に合わせて私もフリーターをしていた飲食店の社員になります。
同世代と比べてお給料は高かったので(そりゃ働いてるからw)、とにかく今は頑張ってみようと。
当たり前ですが、今までは前線で働いていたのから店全体を管理しないといけないとなると、やっぱり大変でした。
指示されて、少し自分でも動くぐらいが本当に楽。
私はあまり人に指示することが得意ではない方で、社員になって気が付いたこと。
それは私は管理職より常に前線で働くことの方が合っているのだと。(時すでに遅し)
最初の半年は店長になるためのスキルを学んでいましたが、前述に書いた気付きによって、私は社員やアルバイトのサポートやTRに力を入れる事にしました。
人生の流れが変わる
私の”沖縄”の始まり
春と秋に取れる3連休をしかも23歳の誕生日に取れる事に。
あまり旅行に興味がなかったのですが、仲良しの姉さんがバースデー旅行を計画してくれたのです。
→本当に友達なんですが、ひとまわり以上年上だったのでとっても可愛がってくれてた方です。
なんと宿泊先は沖縄本島の恩納村にあるリゾートホテル「ルネッサンスリゾートオキナワ」
ロビーも広く、高層な建物で、いい香り。
ここのホテルは全てが敷地内でまかなえてしまう素敵なホテルでした。
外のプールはもちろん、バーやプライベートビーチ、イルカとも一緒に泳げるんです!
私はもうセレブ気取りで朝から昼から夜から、お酒を飲んでのんびりすごして、かなりの贅沢旅行を堪能したいい思い出です。
再び沖縄へ向かう
実は1回目の旅行は春の連休で、その旅行には続きが。
一緒に飛行機に乗って行った姉さんですが、空港で突然の別れを告げられ帰り道は私1人で帰ったのです。
飛行機なんて1人で乗ったことないし、よくわからないまま帰路に。
後から聞くと、彼女はそのまま残って沖縄県を旅するつもりだったらしい。
そして4カ月後の秋の連休に合わせ、私は彼女が待つ沖縄へ旅立ちます。
前回の旅と違うことは、今回の旅はこないだのような贅沢はできないよとのこと。
最初はかなり不安でしたが初めてのゲストハウスに泊まることになります。
いざ行くと自分の部屋というか、自分のベッドだけが自分のスペース!?!?
しかも壁とかじゃなくてカーテンのみ…
大丈夫なのか…
結果、不安というよりもそこに在るものへの好奇心が勝りました。
沢山の旅行者と一緒に夜のゆんたく、満天の星空の下でみんなで歌を歌ったり、
特に決まりのない自由な時間をすごしている空間が在るという事に驚きました。
もちろん盗難とか犯罪が全く無いとは限らないので、自己管理、自己責任と自覚を持たなくてはなりません!
そこで働いているスタッフ達はみんな私と同世代の子ばかりで、仲良しの姉さんにも「SARAHもこっちに来ちゃいなよ!」とめちゃくちゃ進められました。
しかし私には仕事を捨ててこっちにくる勇気なんて微塵もなかったので羨ましく思っていましたが、他人事のように流しました。
前回の旅とは違った意味の贅沢を味わって、今回は姉さんも一緒に帰宅しました。
移住を決めた旅行
24歳目前の春の連休、今度は初の八重山諸島へ。
姉さんは以前の1人旅で訪れてとても絶賛していた波照間島行きを計画。
「船が出ない可能性がある」
と聞かされた時に、そんなこと許される訳ないでしょ!と思いながらも行くことにしました。
石垣島も初めてなのに時間もないから空港に着いて早々、高速船で波照間島に向かいます。
船内では海の輝きにテンションMAX!
島に到着して港から1番近い宿の「西浜荘」に足を運ぶと、、
それはそれは古そうな建物?!外!?
行ったらわかると思いますが、なかなかクセ強めの宿でしたw
そんなことより海ですよ!
レンタサイクルを借りて、近くの西浜に向かうと、途中にヤギのココちゃんがお出迎え。
少し戯れてから坂を下ると。
「波照間ブルー」という言葉がある通り、めちゃくちゃ綺麗な海が広がっています。
上から眺めているのもいいですが、もちろん海の中もとっても綺麗で、透明度抜群◎
高確率で浅いところまでウミガメちゃんが会いに来てくれます。
昼から夕方までひたすら海で泳いだり昼寝したりと、何もしないをしていました。
その日の夜ごはんは「居酒屋ばんぶー」へ。
また同世代のお姉さんたちが働いているので聞いてみると。
私「どうやってこっちに来たの?」
スタッフ「何も決めてない!来たかったから来た!」
返す言葉が見つからない。
だってその通りだもん。
なんてその時の私もわかってはいるけど、わかってはいませんでした。(意味わからん)
それを聞いてからの翌日、波照間のさとうきびに挟まれた1本道を自転車で走っているときに私は確信しました。
「仕事辞めて、私もここに来る!」
この旅でも、たまたまそこに居合わせた旅行者たちと波照間島の島酒”泡波”をかわしながらゆんたくして素敵な旅はまた終わりました。
会社を辞める
小さな会社でただでさえ人手が足りていない状況で、辞めるなんてできないって今まで何度か退職を考えたことがあります。
あれほど悩んでいた退職も、自分でもびっくりですがはっきりとした目標ができたのですぐ行動することができました。
悩んでいた時間がもったいない程すんなり退職を受け入れてくれた社長。
仕事は厳しかったですが沢山可愛がってもらったのに、これからを応援してくれる社長に本当に感謝しています。
ニートになる
24歳9月からニートになった私。
今まで仕事で遊べなかった人たちと遊んだり休みを謳歌。
沖縄に出発するのは月末で航空券は羽田→那覇の片道切符のみ購入し、向こうでの生きる術(仕事)を探し始めるのだが。
ネットで八重山の求人を探しても、2年くらい更新されていないような情報ばかり。
あとは有名な求人サイトに載っている仕事はリゾートホテルのような大きな企業かキャバ嬢くらい。
最悪なことに沖縄も冬になると海に入れないくらい寒いので、閑散期の募集はしていないとのこと。
私行くの思いっきり冬だ…(絶望)
結局何も決めずにあっという間に沖縄へ発つ日に。
何も決まっていないので、家族や特に仲のいい友達に3カ月くらい沖縄に行ってくる!と伝えただけで、ほとんどの友達は私が沖縄に来たことは後から知らせました。
働く働かないにしろ1カ月間は沖縄県内をゆっくり旅行する予定だったので、まだ猶予はありましたが、その時に決めなくてはと焦りはありました。
実はこの出発から1カ月は例の姉さんもサポートしてくれたので、かなり心強く甘えさせてもらいました。
沖縄1カ月の旅
那覇の1週間
姉さん(酒好きヘビースモーカー)のおすすめの那覇にある宿「月光荘」に1週間滞在。
古いゲストハウスで少し小汚い感じがまたお洒落に感じますが、ここかなりのクセ強めの宿でした。
その時のメンバーにもよりますが、私のいた時期は毎晩どんちゃん騒ぎ。
最初は楽しかったけど、後半はちょっと疲れ気味で正直働くには…って感じでした。
那覇は海にも行かず、ほぼ飲み歩いて終了です。
石垣島へ移動
那覇から飛行機で1時間かけて次なる島”石垣島へ”
貴重な就活時間の1カ月も、もう1週間が経ってしまっています。
(このまま旅行して終わるかも…)
石垣島に着いてから飛び込みで(予約をせずに)本日の宿泊先のゲストハウスへ。
飛び込みにも関わらず快く受け入れてくれ感謝です!
晩ご飯を食べた後、ゲストハウスの喫煙所で姉さんとこれまでとこれからの真剣なゆんたくをしていると、呑気な私に少し活を入れてくれていました。
半べそかいているとそこへ40代くらいのおじさんがタバコ吸いに来て、なんとなくの雰囲気で一緒に交わって話を始めました。
今までの経緯や置かれている立場などを話すと、「うちで働けば?」と一言。
私「ん???」
実は彼、ここのゲストハウスのオーナーでした。
私は即答で「働かしてください!!!」
そしてオーナーのおかげで私は1カ月の旅行だけて帰る羽目にならずにすんだのです。
働き先が決まったからには、予定通り波照間島1週間→西表島1週間、小浜島、竹富島と島を巡り、旅が終わり帰って来てからすぐ働かせてもらいました。
ここのゲストハウス
1日2Hの掃除(週1休み)でタダでゲストハウスに住めるという仕組み。
朝も早くないし昼前に終わるのでそこからは遊びに行くも他のバイトするも自由。
部屋は個室ではなくベッドだけですが、とにかく1日2Hで住む場所は確保できます。
(だいたいみんな掛け持ちでバイトしてます)
私もほとんど毎日働いて仕事以外はヨガに通ったり飲みに行ったり、石垣島ではあまり遊ばずに普通に生活していました。
やっと西表島にたどり着く
実はニートの時にも、行ったことはないけど西表島に興味があったのですが、私にはなかなかうまくいかず求人を見つけることができませんでした。
働き先が決まった後の旅でできた西表島の友達も居たので週1の休みはかなりの頻度で西表島に遊びに行きました。
ゲストハウスで働き始めて3カ月くらいたった時、友達から西表島でスタッフ募集している民宿があるよと紹介してもらい、その民宿に泊まりに行きました。
するとそこのオーナーがめちゃくちゃいい人ですぐ面接を取り繕ってくれて、しかもその場で採用して頂きました。
それから2カ月後にお世話になったゲストハウスを離れます。
ここの民宿
7:00~20:00(休憩3H、週1休)
宿の清掃、食事の手伝い、たまに畑仕事
月10~12万円(寮費、食費全込)
きっとびっくりするかもしれないですが、沖縄県のこういったリゾバはどこでもこんな感じで、ぶっちゃけ給料は安すぎるのが現状です。
もしお金を稼ぎたいっていう人には、沖縄は向いていないかも。
あくまでも個人の意見ですが、お金を使うところがあまりないので貯金もしっかりできます!
ちなみに私の寮はプレハブハウスです。
あのよく内地の広い公園とかの駐車場の受付の人がいるような!
最初は驚きましたが、冷暖房、テレビ、冷蔵庫完備全然問題なく快適に過ごしてます。(バストイレは共同で別ですが)
何より1人部屋っていうのは大事だと思います。
沖縄県だけではないと思いますが、こういったリゾバの寮って相部屋が多いんですよね。
もし前もって働き先を探す場合は、仕事内容、給料のほかにも、寮についても確認した方が自分の為だと思います!
考えるより行動する
実際に私のように何のつてもなく何も決めずに来ちゃえば、意外と何とかなる気がします。
もちろん決めずに来るデメリットは、選択肢が少ないために、自分のやりたいことができない可能性があることかもしれません。
それでも行動しないで遠くから見ているより、行動すればもしかしたらそこからまた道が開ける可能性は大いにあるはずです。
SNSを活用する
私個人の意見ですが、今の時代はSNSでリサーチするのが1番早いかと思います。
特に田舎の求人サイトというと、何年も情報が更新されていなかったりすることが多い気がします。
あとは直接ショップを探すのではなく、移住したい場所に住んでいる人にコンタクトをとってみるのも今の時代の有効な手段だと思います。
結構働いてくれる子いたら紹介して!
って言っているお店も多いので、上手くいけば紹介してもらえることも!
新型コロナウイルスの影響
新型コロナウイルスの影響でお客様が居ないので、時短労働と休日も増えていてお給料も更に減りますが…
ゆっくりとのんびりとした生活をしたかったので、今くらいの働き方が本当は丁度よくて。
朝はゆっくり起きてストレッチしたり、天気が良かったら海に遊びに行ったり。
私が田舎に来た意味を改めて実感した2020年でした。
沖縄移住憧れる…
大都会から抜け出したい…
もしそこで踏みとどまっているなら、私はもったいない!
でも気持ちめっちゃわかります。
私も地元から出るのに勇気がかなり必要でしたから。
意外と一歩踏み出してしまうと、案外すんなりいくことがあるかもしれないです。
自分の人生を後悔しないように生きていきましょう!