枯れ木が足に刺さったら放置は危険!?屋久島で手術・入院する羽目に【後編】
長年暮らした西表島を後にし、次の移住先を求めて車旅をしている新婚夫婦のSarahです。
そんな私達は屋久島に辿り着き、今は家守として暮らしています。
屋久島で暮らし始めて1ヶ月、家の庭にあった枯れた木が足に刺さり、蜂窩織炎(ほうかしきえん)という感染症にかかってしまいます。
島の診療所で処置をしてもらっていたのですが、足の中にはまだ木の破片が残っているかもということで急遽屋久島徳洲会病院で手術をすることになったのです。
この記事は【後編】の徳洲会病院についてです。
【前編】はこちら↓
今回の【後編】では
- 手術や入院の実体験
- 低髄液圧症候群とは
- 入院中のあれこれ
など、私が実際に体験した入院レポになります。
病院に着いて
病院に着くや否や、手続きは後回しで直ちに形成外科に案内されます。
そこには女の先生、看護師さんがすでにお待ちかね。
ベッドに寝かされ問診やら触診やら言われるがままに身を任せ、聞かれた質問だけに淡々と答えていました。
私はストレッチャーに移り、手術着への着替え、アレルギーや食べ物についての質問、点滴の注射など様々なことを4人の看護士さんにしてもらうのです。
一度に色んなことをやってもらうなんてお姫様のよう。
きっと私を含めた全ての人が、急に決まった手術で詳細は分からずに時が進んでいるようでした。
ここから翌日の朝まで水や食べ物など一切何も口にしてはいけないということです。
術前の検査
診療所の先生からは
「まだ木のカスが残っている可能性があります」
とのことで徳洲会病院に来た訳なのですが、ここで驚きの事実が発覚します。
エコー検査にて、しっかり木の影が映っていると言うのです。
先生方は専門用語で話しているし、とにかく私はなされるがままにじっと寝ているだけでした。
色んな検査が終わり、いよいよオペ室に運ばれます。
手術開始
そこにはドラマで見るままのオペ室と、手術着を着た先ほどの先生と看護士さん、さらに2人の男性が加わってどうやら4名体制の手術らしい。
ベッドに移り、腰椎麻酔という局所麻酔を打ちます。
横になり背中を丸くして腰椎に打つのですが、まあまあ痛かったのと何回かに分けて注射しているようでした。
すると先生が足に水を垂らして冷たいか冷たくないか、麻酔の効き具合を確認してきます。
その確認を3回した記憶がありますが、次に目が覚めた時には手術が終了していました。
術後
声をかけられて寝ぼけ眼で先生から
「無事終わったよ〜そしてすごいの入ってたよ〜^^」
自分が麻酔で寝ていたことも気づいていなかったのですが、手術の時間が表示される時計を見たら1時間44分くらいになっていて。
私が寝ている間に手術が終わったのだと驚き、袋に入った木のカケラを渡され、思わず笑ってしまったことを思い出します。
そしてさらに先生は続けて、
「時間が経っているから木のまわりが粉々になり始めていて、足の中が草木染めのようになってたわよ」
オペ室を出ると旦那が待っていてくれていたので、その袋を見せたら笑っていました。
いや〜これは笑っちゃう。
麻酔以外の痛みも全くなくて気づいたら手術が終わっていたので、とにかくみんなで笑ってHappyな気分でした!
こんなものを入れたまま2週間、そりゃあ一向に歩けない訳ですね!
せっかく長時間待ってくれた旦那には申し訳ないですが、この一瞬でお別れです。
病室へ行き気づいた頃には寝落ちしていました。
入院生活の始まり
夜中の内に点滴やらで看護士さんの出入りがありましたが、ここでもなされるがままに居ました。
朝になってやっと食事の時間、とりあえず極力安静にということで、ベッドは30度まで上げて良いとのことでした。
30度って、結構寝てるのと同じくらいなんです。
まあ仕方ないのでいつもよりしっかり咀嚼することを心がけながら、こぼさないようにいただきました。
病院食ってちょっと…みたいな固定概念がありましたが、そんなことはなく、とっても美味しかったです。
1日3回の点滴
点滴は①0時 ②8時 ③16時の1日3回行われます。
あらかじめ点滴用の柔らかい針と短い管だけ刺しておいて、そこに点滴を刺していく形です。
点滴経験者ならわかるかな?
この針は3日に1回のペースでは交換のようです。
点滴最中は何も感じないほどですが、間隔を狭めて速くしたり、一度に注入すると少し痛みが出ることがあります。
おしっこは管で
手術が終わり寝たきりの私は、少し落ち着いた時におしっこの管を入れていることがわかりました。
膀胱に直接差し込んでいるため、自分の意思で尿をするのではなく、勝手に出してくれるシステムです。
とっても不思議な感覚です。
2日程していたと思いますが、その間は不思議と便は出ませんでした。
外す時に痛いかもしれないと聞かされていましたが、私はそこまで痛くなかったです。
特殊車椅子
手術後は足を下さないための特別車椅子を用意してくれました。
ベッドから車椅子、車椅子からトイレの個室などの乗り降りの際は、相変わらずケンケンで行っています。
すでに2週間も右足だけで生活していたので、片足生活もそれなりに慣れるものですね。
低髄液圧(ていずいえきあつ)症候群
低髄液圧症候群とは、起立性の頭痛、ふらつき、全身倦怠感等を症状とする疾患で、多くの場合追突事故などの軽微な外傷後や、私の打った”腰椎(ようつい)麻酔”の原因で発症します。
そしてその多くは若年層に発症しやすい疾患で、これの治療法(とにかく安静又は超高額!ブラッドパッチ)はありますが、確実に治る保証が無いとも言われています。
大体24時間安静に過ごして、何も異常がなければ心配はいらないようです。
私も低髄液圧症候群を発症せずに安心して、状態を起こして生活していました。
がしかし、3日目の朝ご飯の時、突然ご飯を食べることができないくらい急な頭痛と吐き気をもよおし始めました。
そう、私はかなりの確率の貧乏くじを引いてしまったみたい。
誰もが恐れていた低髄液圧症候群を発症してしまい、とにかく安静が1番ということでまた寝たきり生活の始まりです。
ネットで調べたら沢山の水分摂取も効果があると書いてあったので、とにかくひたすら水を飲むようにしていました。(1日3Lくらい笑)
日に日に頭を上げていられる時間が延び、発症してから1週間で全く痛みはなくなり、無事におさまりました。
あとは足の治療に専念するだけです!
12日目に抜糸
術後の経過も良好で、手術をしてから12日目にやっと抜糸です。
診察台に寝転がると
先生「今から抜糸するね、少し痛いけど」
といきなりプチプチ糸を抜いています。
確かに糸を抜く時はチクっと痛かったですが、ピンセットで眉毛を抜く5倍くらいの痛さかな?(人それぞれですが)
歩行開始
抜糸と同時に、病室からお手洗いまで(普通に歩いたら10秒の距離)は歩いて良いと許可が降りました。
実際立ってみると、久しぶりに足をおろしたせいか少し痺れて、傷口は突っ張っている感じ。
トイレまでゆっくり時間かけて向かいます。
初めは体重をかけるのが怖かったので、左足のかかとで歩く感じにびっこ引きながら歩いていました。
するとだんだん慣れてきて足の裏のつける範囲が広がってきます。
めでたく退院
19日目の朝、いつも通り形成に呼ばれて行ってみると
先生「どうする?このまま入院でも良いけど、家でリハビリする?」
前日では「あと5日後に退院かな〜」と、気分が落ちていた矢先の言動に、思わず即答。
私「はい!帰れるなら帰りたいです!!!」
同じ症状でもご年配だったら難しいかもということでしたが、年齢的にも実際の様子を見ても大丈夫でしょうと判断してくれました。
19日ぶりの外に出て感じたことは、病院ってなんか囚われの身の様だったな〜。
(※自分が原因で、入院中は大変お世話になったし、とっても良いところです!!)
結局入院も退院も急で、徳洲会病院は何かと面白い体験をさせてくれました。
病院のご飯
よく病院食ってあんまし…
なんてことを聞きますが、この屋久島徳洲会の病院食は私は美味しかったと思います。
確かに味はどちらかといえば薄味ですが、毎食野菜が多く入っているし、メインはお肉やお魚も出ていつも満足になります。
- 朝食:8:00
- 昼食:12:00
- 夕食:18:00
強いて言えば1日3食って食べ過ぎな気がしますが。
入院中の楽しみと言えば読書かこのご飯の時間くらいなので、寝たきりなのにしっかりお腹が空いてくるんですよね〜w
入院中の過ごし方
入院中はひたすら漫画や本を読むと決めていて、旦那が友達から沢山借りて病院に持ってきてくれました。
そのおかげで実は暇な時間がなかったくらい。
まずはずっと読みたかった”OnePeace”の空島〜ウォーターセブンまで(アラバスタまでしか読んだことがなくて)。
- Onepeace
- 秋山佳胤のいいかげん人生
- murmur19(小雑誌)
- murmur20
- ナウシカ(マンガ)
- 「また、必ず会おう」と誰もが言った。
- わら一本の革命
こんな感じでゆっくり休めたし、色んなことを学んだ入院生活となりました。
きっとこの怪我にも何か気づかせてくれる意味があったのだと思うと、怪我して良かったなんてこそ思えます。
皆さんも人生楽しく遊んで、笑って生きましょう!